非核の傘による安全保障を

 北朝鮮の核実験を受け、昨日、安倍首相は、国連安全保障理事会の制裁決議など対応も含め、日米で協力をしながら厳しい対応をしていきたいと表明、安保法制による日米同盟強化の効果を強調するコメントが報道されています。
 米戦略爆撃機が韓国上空に展開するなど、米韓軍の連携を強調する動きも伝えられました。緊張の高まりと軍拡の連鎖が起こり始めていることを憂慮します。

 私は、新しい年を広島で迎え、今年最初のエントリーでは、核兵器廃絶に向けた自治体の取り組みや市民社会の実践に心を寄せていきたいという思いと、被爆国でありながら核による抑止力が安全保障に必要であるという立場から核を否定できないという現状への苛立ちを綴りました。
 NPT再検討会議や国連総会における核兵器廃絶の議論でも、核保有国と非保有国との対立が鮮明となっています。
「ある大国は許されて、ある国は持ってはならない」という矛盾から生まれる対立。
 日本が、そこにどう向きあうのかあらためて問われています。
戦後生まれの私は、原爆を知りません。でも、祖母や母が語ったヒロシマの記憶からも、核抑止論はやはり受け入れられません。核の傘よりも、非核の傘を広げる安全保障を選択すべきです。