原発がなくてよかった

台所しごとを始めた日曜日の朝、カタカタと小さな揺れに重なるようにグラっと大きく揺れた。珠洲にいるいとこ姪のことを思い出し、また胸がざわざわしてしまいます。
地域おこし協力隊として珠洲市に移り住み、一人暮らしをしている彼女と連絡が取れたのは1月2日の深夜で、「決死の覚悟で迂回しまくりながらなんとか飯田まで出て情報収集や物資調達した」とありました。高齢化が進む集落の中で、頼られる存在なのだと思うけれど、さぞ怖かっただろうと。

 

原子力災害対策指針に基づく地域防災計画に実効性はなかった
道路の陥没や土砂崩れに加え、津波の被害や港の隆起、空港閉鎖で海路も空路も絶たれたあの時に珠洲に原発がなくて良かった、志賀原発が稼働していなくて良かったと心底思いました。

変圧器の故障による一部電源の喪失や油の流出、使用済み燃料プール水の飛散、モニタリングポスト 18 箇所で計測不能状態と、相次いで伝えられたトラブル。北陸電力や原子力規制委員会は、こうしたリスクを予測できなかったのだろうか。

東日本大震災から13年、私たちは、起こりうる最大規模の自然現象を予測し、 原発の安全性を確保することがいかに困難か、という現実を再度突きつけられている。そのリスクを決して過小評価してはならないと肝に銘じたいと思います。

 

私にできることを
阪神淡路大震災で自宅が半壊し京都に移り住んだ時に、私たち一家をサポートしてくれたのが関西に住んでいたいとこ姪の亡き祖父母、私にとっての叔父・叔母でした。だから、今度は何かできないかしらと思うのだけど、遠方でなかなか力になれない。せめて、次の世代にどういう社会を残したいのか、そのためにできることをやらねばと、ざわつく胸に言い聞かせます。20年来の友人からは、彼女のふるさと珠洲の原発建設計画凍結に向けて声をあげた親世代の奮闘も聴きました。
問われているのは、自治すること、自治する力なのだと改めて思います。