2016年の始まりに〜 記憶を繋ぐこと、希望を繋ぐこと〜

 今年は母に代わって懐かしい台所に立ち、広島の暮らしを思い出しながらのお正月です。大晦日、地元紙「中国新聞」の特集記事“ヒロシマの記録2015”に目がとまりました。
  2015年は、5年に1度開かれる核不拡散条約(NPT)再検討会議の開催年でした。戦後70年の節目の年でもあり、核廃絶への道筋をつける機会となり得るのか注目されていました。しかし、核保有国と非保有国の溝は埋まらず会議は決裂。何より、日本が核兵器禁止条約に反対したことは残念です。

 記事の中に見つけたのは、広島市の「被爆体験伝承者養成事業」の取組み。 被爆者の高齢化が進み被爆体験の継承が次第に難しくなるなか、記憶の風化が危惧されています。被爆者の体験 や平和への思いを次世代に語り継ぐ人を3年間をかけて養成、今年から1期生が活動を始めたそうです。地道な活動です。
 70年は草木も生えないと言われた地で、平和な国となるように願い暮らしてきた人たちの中に私も居たことを思い返しました。〜父は家族を探して焼け野原を歩いたという。どんな景色を見たのだろう。私はまだ聞いたことがない。残された時間はそう長くないかもしれない。〜
 
 昨年の夏、「歴史の転換点である今」を確かめたくて国会前に足を運びました。でも、シュピレヒコールの中にいて、自分がどこに向かっているのか解らないような戸惑いも感じました。やはり、具体的な未来や目標を描けることをやりたい、過去に学ぶことも含め、自分なりに意味あることを見つけて一歩でも前に進みたい、劇的に安心や安定がもたらされることは難しくても、次の時代に希望が繋げられると良いなあと思っています。
 周囲の人と対等で良好な関係を築き暮らし、働くけること、そういう場所をつくり・拡げること、その後押しとなるような政策・制度を手にするために政治に参加すること。
 格差や貧困に起因する問題から目を逸らさず、その解決のために知恵を絞ることも。これは世界の安定を創り出すために必要なことに重なると思います。
 
 今年は、国政選挙の年。選挙権が18歳に引き下げられて初めての選挙。政治への参加が広がりますように。