共に働く、暮らすを考える 生活困窮者自立支援全国交流大会

生活困窮者自立支援制度が始まって5年目を迎えました。
11月〜3日は、には、宮城県仙台市で「第6回 生活困窮者自立支援全国交流大会」」が開催されました。
「申請主義」「利用者主義」で作られてきた支援の形の限界を乗り越え、未定型な生きづらさを抱える方たちにも届く支援を大いに語ろうと言う今大会。私は、地域で制度に基づく就労訓練事業や独自の就労体験事業に取り組んで4年になりますが、実践に学び改めて「支援」とはを考える機会となりました。

第一日目のシンポジウムは、NHKを辞めて自殺対策NPOで奔走する清水康之さん(NPO法人自殺対策支援センターライフリンク理事長)の報告からスタート。日本の自殺者数は減っているのに小・中・高校生の自殺は増えている事に愕然とします。清水さんからは、包括的支援の乱立が新たな縦割りを生み出しているのではないかと言う問題提起も。

大学時代から人を繋ぎ当別町で福祉へのチャレンジを続ける大原裕介さん(社会福祉法人ゆうゆう理事長)さんは、子育て・介護といった福祉ニーズから、生活困窮など様々な困難を抱えた人たちの「存在の見える化」の必要性と、共生のまち創りについてお話しくださいました。

報告を受けた奥田知志さん(NPO法人抱樸 理事長)の、「共生という言葉と、支援というステージは違うのではないか」と言う改めての問いかけは、パネラーの皆さんの報告にも重なるもので、分科会の議論にもつながりました。

奥田さんが、地域共生社会推進検討会の中間とりまとめを紹介された中で、「問題解決は必要だが、一方でつながること自体を目的とする場面もある。いわば、課題解決型の支援とつながりの構築は両輪」というようなお話もありました。

奥田さんは、支援という言葉にはややもすると逆説性があるのだと言われます。あなたを支援するというのは、あなたを大事にするという表明でもあるのだけど、「そのままではダメ」と真正面から言われているような場面でもあると。
支援じゃなくて、必要なのは出会うとか、友だちといった言葉なのかもしれない。

渋谷の街で、孤立した少女に話しかけ、必要な支援につなぐBONDプロジェクト の橘ジュンさんの活動もそんなニュアンスを感じさせるものでした。

刑余者支援の現場から、かなりハードな事例を報告くださった 長崎県地域生活定着支援センター の所長、伊豆丸剛史さんは、罪を犯した人の更正に関わり続けておられます。「扉の向こうに異なる価値観がある。違うリアリティを見て見たいという好奇心を持って肩肘張らずにいればいい」とまとめてくださいました。

二日目は、就労支援をテーマにした分科会に参加、生活クラブ生協の生産者でもある石巻の高橋徳治商店代表取締役高橋英雄さんのお話を聴きました。

東日本大震災を経験して
東日本大震災によって、高橋さんは3つの水産加工工場を失いました。
大川小学校から聞こえた「助けて!」という子どもたちの悲鳴、避難所の暮らし、家族を亡くしたスタッフのことなど「圧倒的に言葉にできない記憶がある」という高橋さんの言葉は重く響きます。

ずっとやってきた水産から野菜加工へ

一時は、売上は三分の一に落ち込み、また借入金も抱える厳しい状況の中で、高橋さんは工場を再建、さらに、就労支援を目的に野菜工場も新設します。新規事業には異論もあったそうです。しかし、震災を経験し「事業とは、仕事とは」を問い続け、貧困、不登校、引きこもり、DVなど社会的課題凝縮された地域を目の前にして、高橋さんは、全ての人が共に働く地域づくりに向けて動き始めました。

「自分ごととして、解決したい 一緒にやってく」
野菜工場では、地域若者サポートステーションと連携した若者支援を展開されています。雇用契約に進んだ若者は四人。共感・共鳴が大きな力となり、生産者も変わっていく、そんな実感もお聴きすることができました。それでも「どこに生きたいのか、今は迷路」、また、「こうした企業が増えることを祈っている。迷って欲しい」とも。そして、「あかりっこついたぞー!これが原動力です」の言葉でお話を締めくくられました。あかりは希望なのですね。

人と人との関係が土台にある
支援者と言われる側の価値観を変えることが求められていることを痛感した2日間でした。パネラーのお一人山本菜々子さんの言葉を自分たちの現場に引き寄せて考えたいと思います。
「一人一人が最善を考えるから良いものができる。そのように働いていけないのだろうか」という問いは、まさに私の問い。また現場に戻ります。多様な働き方を法制度として位置付ける運動にも引き続き取り組みます。