2018年新春に思うあれこれ「偶発的なできごとを恵みにしたい」
広島で新年を迎えまました。
大晦日の墓参りの帰り道、「そう言えばこの近くに・・・」と、父に連れられて「雑魚場疎開地跡」(国泰寺中学校そば)という場所に立ち寄りました。父の姉は、学徒動員で建物疎開の作業中に被爆したと聞いていましたが私はその場所をはっきりとは知りませんでした。細長い空き地には御堂や石碑、折り鶴があり、石碑には「昭和二十年八月六日学徒動員作業中原爆により教官四名、生徒三百八十二名平和の礎となる。~」と刻まれていました。平和の礎という言葉に私の胸はざわつきました。今日までずっと知らずにいたこと、広島に生まれ育ったことの意味付けを模索しながらも時間が過ぎていることとを悔やんでいます。重い口を開き始めた父との時間を大事にしたいと改めて思います。
大晦日、地元紙中国新聞は「ヒロシマの記録2017」と題し、国連で核兵器禁止条約が採択されたことや、この動きを推進したICANのノーベル平和賞受賞について、2面を割いて大きく伝えていました。受賞を受けて、河野太郎外務大臣は「日本政府は、アプローチが違うとはいえ核廃絶というゴールは共有しています。このような核軍縮不拡散への認識の広がりを喜ばしく思います。~」などとfacebook上でコメントされましたが、核保有国も非保有国も参加できる枠組みか、非保有国が主導する枠組みかといった手法の違いによる対立を超えて、核兵器廃絶に向かう道筋を描けないのだろうかと思わずにはいられません。
突破口を見いだすことが難しい状況でも、意識すれば小さなきっかけはあちこちにあるはずだし、それらをつなげ新しい道がひらくチャンスはある。この想いを持って進みたいと思います。
2017年には、ここに思い至る出会いやできごとがありました。まず年末に頂いたエール。
〜「偶発性のあるできごとがまちづくりのコミュニケーションを豊かにしてくれる。でも、それには前提が必要で、「なんのため」というコンセプトが大事。それがあれば偶発性に出会える。」〜
これは、あるシンポジウムでの延藤安広さん(まちの縁側育み隊代表理事)の言葉。毎日起こっている偶発的なできごとを恵みにしていくセンスを鍛えなさいと言われたように思います。
このシンポジウムに参加したきっけかは、横浜市大准教授の三輪律江さんから提案いただいたピッピ保育園での「おさんぽMAPワークショップ」の取り組み。ワークショップをきっかけに「まち保育」という概念も共有できたし、昨年5月には「まち保育のススメ」も出版されピッピの取り組みも広く知ってもらえる機会にもなりました。
ピッピ保育園を運営するピッピ親子サポートネットの活動も大きな転機を迎えています。
昨年3月、突然舞い込んできたプロジェクトにチャレンジすることとし準備を進めてきましたが、いよいよ今年4月に、生活クラブの新しいセンター「くらしてらす」(青葉区市が尾)の2階に、「ピッピみんなの保育園」を開設します。「くらしてらす」は、Food、 Energie、Care、Workの自給圏構想の拠点をめざしており、ここでの出会いと実践が新たな政策提言活動に繋がるはず。
課題解決のための現場があって、実践を重ねることで出会いやネットワークを広げられる。つくり・変える力になる。この視点をローカルパーティの活動にもつなげたいと思います。
新たなナショナルパーティが生まれ、その地方組織の立ち上げにも注目が集まっていますが、これも改めて政党の分権を問うチャンス。
今年は、2019年統一地方選挙に向かう年となりますが、毎日起こっている偶発的な出来事を恵みにして日々の活動をベースに政策を競える力もグーンと高める1年とします。