横浜市長選挙2021 IR誘致撤回へ

新市長の誕生から2日が過ぎました。
山中竹春新市長は、市のIR推進室の機能を停止するとともに、事業者の選定作業も中止する考えを示したと報じられています。
IR誘致の是非について、初めて選挙で問われ、「NO」と言う民意が示されたのですから、これは当然の流れであり、もちろん私は歓迎したいと思います。新型コロナウィルスの感染が急拡大する中で、「IR誘致」が最大の争点とは言い難い情勢となった市長選ではありましたが、重要な争点の一つであったことは間違いありません。

昨年のカジノ・IR住民投票条例制定運動では、賛成の人も反対の人も同じテーブルにつくことで議論は深まると訴えました。その意味から言えば、林文子氏が「筋を通した」としてIR誘致推進の立場から市長選に立候補されたことには意味があったと思います。
林氏の街宣には、6人の自民党市議の姿がありました。市民の6割以上が反対するIR誘致を「是」と訴えることは、選挙にはプラスにはならないかもしれない。であっても、前回の市長選挙で「白紙」とされ、統一地方選挙でも争点とならなかった問題について、選挙を通じて是非を問う、そのプロセスは必要だったと思います。「選挙に勝ちたいからと政策を180度変えるのはおかしいでしょう」と言う市議の姿勢は、主義主張が異なっても十分理解できます。

残りの自民党市議が支持した小此木八郎氏は、IR事業の取りやめを明言するに至った理由として、コロナ禍以前に構想されたIRが、もはや経済モデルとして成り立たなくなっている現状を訴えていました。それは、私たちがこの間何度も訴えてきた通りの話で、全く異論はありません。首相に抱きつかれた格好で政権への不満が大きく影響した選挙。他候補を支持する人からは、IR誘致をめぐる小此木氏の変節に疑念を持つと言う意見も多く聞かれましたが、二進も三進もいかなくなっていたIR誘致問題を決着させるために批判も覚悟で道筋を付けたわけで、ある意味度量のある方だと私は思います。これが、駅頭でかなりの時間をいただいて直接お話しした小此木氏の印象です。

 IRの問題について言えば、私は、カジノ・IR住民投票条例制定運動に賛同し、横浜未来アクションとして直接請求署名活動には取り組みましたが、市長選挙においては「カジノ反対の市長を誕生させる横浜市民の会」の活動には関わることはありませんでした。
「カジノ反対の市長を誕生させる横浜市民の会」は、直接請求署名を主導した「カジノの是非を決める横浜市民の会」解散後に、その会の共同代表や事務局を担った方たちが呼びかけ新たに立ち上げられたと理解しています。
「カジノの是非を決める横浜市民の会」も「カジノ反対の市長を誕生させる横浜市民の会」も、「カジノ誘致の撤回」というワンイシューで連帯し活動する団体だったはず。

今回の市長選で「カジノ反対の市長を誕生させる横浜市民の会」は、山中竹春さんを推薦し支援活動を展開されましたが、IR誘致に反対する候補者は他にも5人いました。IR誘致に反対すると言う一点で、一人の候補者を推薦、支援を決定する、その合意形成のプロセスはどうだったのでしょうか。実際には候補者選考は、立憲民主党に一任され、紆余曲折ありながら、会としての推薦に至っていますが、その過程で、立憲民主党に対し候補者選定のやり直しを求める意見書が出されたり、世話人や事務局が会の活動から離れていくような事態も生じています。

「カジノ反対の市長を誕生させる横浜市民の会」は、20万筆の直接請求署名を集めた団体とも紹介されていますが、市民の会の呼びかけに応え署名活動をした市民、団体は実に多様に存在しました。私が参加した横浜未来アクションやカジノを考える市民フォーラムもその一つです。豊かな市民活動が存在することが横浜の強みの一つですから。
市長選挙ともなれば、それぞれの主張や判断軸もまた多様でしょう。
ならば、「カジノ反対の市長を誕生させる横浜市民の会」は、カジノ・IR誘致に反対すると言う候補者は全でピックアップし、その中で誰を選ぶかは市民一人ひとりが決めるくらいの緩やかな運動でもよかったのではないかと私は思います。
衆議院選挙の前哨戦、野党共闘のモデルと表される政党が主導する選挙に戸惑いや違和感を感じ、「会」の活動から距離を置かざるを得なかった人たちがいたことも事実。こうした状況の中で、私たちも会の活動とは一線を画すこととしました。

国政における与野党の関係が、そのまま横浜市会に当てはまるわけではなく、自民、公明、立憲の議員団は、これまでもIR問題以外の多くの市政の課題に対して同一歩調をとっておられます。
新市長の誕生が、どのような変化を生み出すのか、山中さんを支持した多くの市民が期待を持って注視しています。

前市長の誘致表明から2年、直接請求運動から間も無く1年。何にせよカジノ・IRは止まりました。
やっぱり「私たちの1票」に力はあった。