ドキュメンタリー映画「ひとと原発〜失われたふるさと」

3月11日、#WE21ジャパン青葉 の企画で、今日一日の限定でドキュメンタリー映画「ひとと原発〜失われたふるさと」(監督/板倉真琴さん)がオンライン配信されました。
14時46分を挟んで、監督の板倉真琴さんと、伊藤さんの対談もオンラインで参加させてもらいました。


WE 21ジャパン青葉の代表、#伊藤まりさん と初めてお会いしたのは、2014年のことでした。浪江からいらして、WEのボランティアをされていると聞いて、トークサロンのスピーカーにお招きしたのがご縁の始まり。

伊藤さんが浪江町の商工会婦人部のメンバーとして関わられた「わくわくCMコンテスト」の映像には、美しい海や山や、そこで暮らす子どもからお年寄りの暮らしがありました。


震災から10年を経て、完成したこの映画には、「ふるさとを愛している、じゃあ、みんなで帰ろうとならない、なれない」という想い、迷い続けている方、区切りをつけようとする方たちの苦しい胸のうちが映し出されていました。


なぜ戻らないの?の問いに、「時間が経ちすぎた・・・原発事故がなければ、多分翌日から家の中を片付けていただろう」と答えた伊藤さん。つものように淡々と話されたけど、悔しさは伝わってきます。
「まちの復興のシンボルとして建設された水素ステーション。その脇をオリンピックの聖火ランナーが走る予定だそう。
一方で、40年以上かかると言われている廃炉作業の終わりは見えなくて、石棺を石棺で覆う作業は、まるでマトリョーシカのよう。一時は8000人、今も5000人の人が防護服に身を包み、線量計を下げ作業をしている、これから作業員も不足するかもしれない。」と続けられました。アンダーコントロールには程遠い状況です。
板倉監督は、この痛みを記録として残し、何が一番、大切なのかを未来に伝えてゆくのだと結ばれました。
伊藤さんが、さらっとおっしゃった「かつて、浪江町ですれ違う人はみんな知っている人だった。今は、知らない人ばかり。」という一言。
伊藤さ
んの痛みとは比べものにならないけど、震災から数年経って、かつて暮らした西宮を訪ねた時に感じた感覚にも重なって、込み上げるものがありました。
やっぱり、ひとの復興とは、人間として社会と関わりながら 地に足をつけて生きてゆく場所をみつけることなんだ。