敗戦から74年の夏に
敗戦から74年。
この夏、少しゆっくりと広島で過ごしました。
小学生の頃まで、私は、毎年8月6日には、祖母に連れられて、セミの鳴き声を聞きながら慰霊碑前の白いテントの中で過ごしていました。その祖母から被爆した祖父の最期のことを何度も聞いたはずなのに、うろ覚えです。
二十歳の頃、雪の舞い散る中、この場所で、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世のメッセージを聴きました。すごく心が揺さぶられた記憶があるのに、そのメッセージを思い起こすことができません。
一昨年の大晦日、父に連れられて「雑魚場疎開地跡」(国泰寺中学校そば)に行きました。細長い空き地に建てられた石碑には「昭和二十年八月六日学徒動員作業中原爆により教官四名、生徒三百八十二名平和の礎となる。~」と刻まれていました。
父の姉は、学徒動員で建物疎開の作業中に被爆したと聞いていましたが、この時まで、私はその場所を知りませんでした。
そんなこれまでを少し悔やんでいます。記録することが大切。
重い口を開き始めた父との時間を大事にしたいと改めて思っています。
16日、深夜のETV特集で放映された映画「ひろしま」を観ました。
学徒動員に駆り出された少女、似島の野戦病院に横たわる人たち、やぐらの上で焼かれる死体。
家族の記憶と重なるシーンが描かれていたせいでしょうか。何度となく見た焼け野原の写真の記憶のせいでしょうか。74年前を再現した映像にも関わらず、かつて見たことのある景色であるかのような錯覚を覚えました。
朝鮮戦争が勃発し、日本では警察予備隊が組織された時代。
国際的に高い評価を得ていたものの、日本では大手映画会社から上映を拒否され、その存在は忘れ去られていたと言います。
世界には核軍拡競争に逆戻りしかねない状況がありますが、だからこそ、核兵器そのものを国際法違法とする道を進んでいきたい。
国連で核兵器禁止条約が採択されて1年。日本政府こそが条約に署名・批准し、早期発効を目ざした国際社会の先頭に立つ。そういう政治を、政権を選びたい。そう思います。