非社会へのカウンターカルチャー「伴奏支援」
NPO法人ワーカーズ・コレクティブ協会の総会企画で、NPO法人抱樸(ほうぼく)理事長の奥田知志さんのお話を聴く機会を得ました。長年、北九州市でホームレス支援を続けてこられた奥田さん。今回の講演のテーマは「伴奏支援」。分厚いレジュメを用意くださっていましたが、そこに行き着く前に話された「ある事件」について記しておきたいと思います。
2006年1月刑務所出所後8日目に、行き場がなくなった74歳の男性が「刑務所に戻りたい」と下関駅に放火した事件。男性は、過去の裁判でも知的障害を指摘されていたのに、障害福祉とつながることはなかった。療育手帳も持っていなかった。2006年の出所後には、8箇所の公的機関(うち3箇所は警察)とやり取りがあり、事件の前日には北九州市の生活保護課に助けを求め「住所の無い人は保護できない」と言われていた。自身11件目となる放火事件を起こした男性は懲役10年の判決を受ける。
この事件は、福祉サポートを必要とする「累犯障害者・高齢者」の存在や、司法と福祉との連携の必要性を明らかにし、その後、各地の地域生活定着支援センターの設置につながる。(抱樸も、福岡県から地域生活定着支援センター事業受託し運営)
私たちは、85歳まで52年間を刑務所で過ごしたこの男性の身元引受け人となった奥田さんと、あらためて事件の背景を捉え直しました。
そして、奥田さんはこう問われました。
「放火をしてはいけない、ということは言えるだろう、じゃあ、あの日、本来こうするべきだったと別の選択肢を示すことができただろうか?」と。
奥田さんの投げ掛けは、自己責任を果たす前提としての社会の責任を問うものでした。全ての責任を個人に転嫁することで社会を無責任化している、その現実を見なさいと。
11年前の事件を、丁寧に振り返った奥田さんが、力込めて話されたのは、「今」の出来事です。2017年5月19日、まさに講演当日、服役中に支給された作業報奨金を使い切った男性は生活保護申請を行ったそうです。10年前には、帰る家も家族もなく、支援者もいない男性を救えなかった、人生の52年間を刑務所で過ごさなければならなかった。行政には、あらためてこうした事実にどのように向き合い、どのような地域社会をめざすのか。そのことが問われています。もちろん、私たち一人ひとりがその答えを探さなければならないのだと思います。
奥田さんは、伴走型支援は社会を喪失した時代=「非社会」へのカウンターカルチャー(対抗文化)であり、社会化を進める事業であると、活動の意義を高らかに表現してくださいました。
気がつけば、自助→共助→公助の流れに互助まで加わり、いつのまにか公助が遠くなっている今、まずは、伴走する、走り続ける。そこにこだわりたい。責任ある社会を作っていくために。「わがごと・丸ごと」なんてことを簡単に丸のみしてはいけないのだ。と私は思う。
奥田さんは、伴走型支援は社会を喪失した時代=「非社会」へのカウンターカルチャー(対抗文化)であり、社会化を進める事業であると、活動の意義を高らかに表現してくださいました。
気がつけば、自助→共助→公助の流れに互助まで加わり、いつのまにか公助が遠くなっている今、まずは、伴走する、走り続ける。そこにこだわりたい。責任ある社会を作っていくために。「わがごと・丸ごと」なんてことを簡単に丸のみしてはいけないのだ。と私は思う。