チェルノブイリから25年の歳月を経て「汚染茶」

昨日、チェルノブイリ原子力発電所の事故により汚染された「わたらい茶=汚染茶」のビン詰めを見せていただきました。ビンの中に入っているお茶は、生活クラブ生活協同組合が共同購入していた三重県の86年産のお茶です。当時、生活クラブ生協は、生産者との協議を経て、国の暫定規制値の1/10にあたる放射性セシウム37ベクレル/kgを自主基準として設定しました。そして、基準を超えた茶葉を、苦渋の判断で処分したそうです。セシウムの半減期は30年。ちなみに、このビンに放射線測定器を近づけると、0.119μSv/hという数値でした。
ビンには、「私たち自身が反原発の思いを持ち続けるために、このお茶を何年かのちに再び検査をして、放射能汚染が後世に永く影響をもたらすことを実証していきたいと思っています。ぜひ放射能汚染茶の共同保管にご協力下さい」というメッセージも添えられていました。
1986年、チェルノブイリ原子力発電所の事故が発生した年に、私は広島から神奈川に転居したばかりで、この運動を知りませんでしたが、25年を経て、国内の原子力発電所の事故が発生した今、「汚染茶」を手にしました。
また、当時、中学2年生だった長塚忍さんが書かれた「原発サラバ記念日」という漫画も見せていただきました。「電気は足りている、原発は安くないのです、原発は石油の代替エネルギーにはならない」といったメッセージや、社長、会長、社主などに原子力業界関係者が名前を連ねる日本のジャーナリズムを問う、中学生の言葉がならんでいました。
25年の歳月協同保管されてきた「汚染茶」を手にし、あらためて未来への重い責任と運動をつなぐ責任を感じています。