沖縄、復帰50年の節目に思うこと

今日は4月28日。
サンフランシスコ講和条約の発効によって、70年前に沖縄、奄美、小笠原が日本から分断され米国の統治が始まった日だ。
その20年後に、沖縄の本土復帰を決めた佐藤・ニクソン会談の様子を伝えるTVニュースを見たことは薄らと記憶に残っている。興奮を覚えてこのニュースをに伝えたことも。
この佐藤・ニクソン会談の記憶から50年。沖縄が「復帰」に求めたものは何だっただろうか?と、あらためて考えさせられる。

4月22日、日米地位協定改定を考えるリレー討論会(勁草塾、日本ジャーナリスト協会共催)で、玉城デニー沖縄県知事や、前泊博盛さん(沖縄国際大学教授)から沖縄の状況を聴く機会を得た。玉城知事が、まず報告されたのは、米軍基地を取り巻く新たな問題として浮かび上がった新型コロナウイルス感染症への対応だった。沖縄をはじめ、全国各地で米軍基地を経由したと考えられるオミクロン株の拡大が確認された問題だ。米軍人等は、日米地位協定によって日本の検疫法の適用除外となる、情報開示請求権・立入調査権も保障されず、国も自治体も情報提供について要望を重ねることになる。こうした状況については、多くの人が理不尽を感じていると思う。

玉城知事からは、沖縄県が実施した「他国地位協定調査」も報告され、あらためて日米地位協定の抜本的見直しの必要性も提起された。ドイツ、イタリア、ベルギー、イギリスにおける米軍に対する国内法の適用状況や管理権、訓練・演習、航空機事故への対応状況と、日本の対応状況を比較したデータは、「なんで変えられないのか?」と言いたくなる内容で、日米地位協定の不平等性が鮮明に表されている。

前泊さんは、地位協定改定を阻む8つの壁として、「無関心の壁」「無知の壁」「無気力の壁」「無能力の壁」「難解さの壁」「秘密主義の壁」「米国依存の壁」「他国地位協定の壁」をあげられた。あー無知に甘えるに恥じると言う言葉が頭を過ぎる。
『派遣国の論理による「旗国法原理」から脱して、自国領域内は自国法で統治するという「領域主権」の確立をめざすべき』という前泊さんの主張は論をまたない。
コロナ禍という厳しい状況で、目の前に、誰もが関心を寄せているであろう問題があるのだから、これも「無」の壁を超えるきっかけの一つとしなければと思う。

パネラーのお一人柳沢協二さんからは、独立・主権の問題と言うが、外国の軍隊に守ってもらうこと自体すでに独立を失っていると言う指摘や、自主防衛より米軍を使う方が安価・確実なのか?本当にそうなのか?ではどのように国を守るのか?と言う問いかけもあった。非武装中立なのか?武装中立なのか?と。

ウクライナ侵攻をきっかけに、スウェーデンやスイスといった中立国でも政策転換が起こっている。停戦協議ではウクライナの中立化と安全保障の形が議論されている。中立国をどう定義するのか?中立とはどうあるべきなのだろうか。
対米追従姿勢が外交力を削いでしまっている現状もある。市民的には米軍の抑止力に代わる安全保障の枠組みを考える意味で、外交で戦争を回避する道筋を考えることが最も重要であることは認識したいと思う。

この討論が議員会館で行われた意義を考えると、討論会会場に用意された議員席が埋まらなかったのは非常に残念だった。
各党の考えも聴いてみたい。
年末の政府の外交・安全保障政策の長期指針「国家安全保障戦略」の改定を控え、自民党からは、敵基地攻撃能力を「反撃能力」に改称することや、防衛費を対GDP2%とするという提言も出されたところ。
選挙も近い。
安全保障政策は重要な争点だと思う。