「平和のために戦争をする」ことを是とはしない
ロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻から5日。
ようやく停戦交渉が始まりそう。ウクライナのゼレンスキー大統領の「交渉に期待しない」との発言も報道されていますが、プーチン大統領が核戦力をもちらつかせている状況にあって、問題解決の糸口をなんとか見出さねばならならないだろうと思います。
「思う」ことしかできない自分が、いろいろ綴っても、薄っぺらで、気が進まなくて、昨日はなんとなく一日台所に立っていた。で、今日になって、友人たちのSNSの発信にいろいろ思うことがあって、やっぱり今感じることを記しておきたいなと思いました。
どちらか一方を強く非難することでは対話は始まらない
当たり前のことだけれど、ロシアが武力行使をし、ウクライナの人々の平和な日常と安全な暮らしが破壊したことは正当化できないことですが、一方で、これまでの歴史の積み重ねや様々な国や地域の思惑が絡む問題であることも周知の事実。
西側諸国は「NATOを拡大させない」とロシアと約束していたのに、その約束は守られなかった。NATO加盟国は、創設時点の12カ国から30カ国にまで拡大し、ロシアに大きな脅威を感じさせてしまっています。
NATOを頼ったゼレンスキー大統領に「助けは来ないようだ。共に戦ってくれる国はいないのか」と言わしめた米国をはじめとした西側諸国の対応にも、ウクライナの内政問題を政治的に利用した大国の利害や思惑が透けて見えるようでならならならない。
領土のみならず、エネルギーや食糧と幅広い意味での安全保障を考えたときに、当事者国だけでなく、多くの国に影響する問題であり、私たちの暮らしに直結する問題なのだから、「〇〇が悪い」という傍観者で良いわけない。
それぞれの国や地域の歴史や文化、国力には違いはある。それも前提として、共通の安全保障を模索し続けることが平和へプロセスであって、攻撃に備えた軍備、ましてや核の傘の下で平和な社会は築けない。
もちろん、「平和のために戦争をする」ことを是とはしません。
今は、まず、停戦交渉が進みますように。