2020年 始めました。
作年は、12年に一度、統一地方選挙と参議院選挙が同時に行われた年で、私は、このいずれの選挙にも取り組みました。生活者が感じている違和感をそのままにしないために声をあげました。こうしたチャレンジを通じ、出会い、学び、繋がり生活者政治の原点を再確認できました。たくさんの出会いに心から感謝です。
議席に手が届かず悔しい思いもしました。政権をめぐる数々の疑惑や不祥事、忖度政治への批判がある中で、投票率が50%に満たない現状も突きつけられました。一人一人が持っている「1票の力」を生かさないままに社会を変えることはできないのだと。「共につくり・変える」という生活者の政治を実践し、語り続ける意義はここにある、だから、変わらず歩んでいきたいと思います。
少子高齢社会に突入した今、様々な政策転換が図られようとしています。私たちが「生きる、暮らす、働く」ことに直結する社会保障制度をめぐる議論も岐路に立っています。また、統一地方選挙や参議院選挙の終了を見計らったかのように、横浜市はカジノ・IR誘致を表明しました。今まさに私たちの民主主義や、自治・分権が問われています。あらためて、暮らしに向き合い、人と人がつながるネットワークによって紡ぎ出される実践と、希望ある未来へのビジョンを持って市民社会を強くする政治に向き合っていきたいと思います。
2020年のスタートは広島で。
年末、年始は少しゆっくり過ごしました。年末の地元紙には、「ヒロシマの記録2019」と題した特集記事で、「核廃絶 見えぬ展望」と「教皇 被爆地に希望」との見出しが並んでいました。昨年11月に来日したローマ教皇フランシスコは、「戦争のための原子力の使用は犯罪以外の何ものでもない。人類とその尊厳、倫理に反する」とメッセージしています。
2020年は被曝75年の節目、そして、核拡散防止条約(NPT)が発行して50年という節目でもあり、4月には5年に1度の再検討会議を控えています。しかし、反目する米国とロシア、そして、まさに米国とイランの緊張激化にも不安が広がっています。
こうした情勢を受けて、1月4日の中国新聞には『不安定な国際協調 状況は「最悪」』との見出しも。
世界の核弾頭の総数は約14000個も存在し、小型核兵器の開発も開発も進むなど、核軍縮を巡る情勢は極めて深刻であると言わざるを得ません。核兵器禁止条約を巡っても、保有国は署名や批准する意思はないというスタンス。日本は保有国と日保有国の橋渡し役を自負しているものの、その役割を果たせない状況が続いています。
どうすればいいのか。
この記事を締めくくったNPT検討会議で日本政府代表団の顧問を務めてきた黒沢満氏の「核兵器は国家の安全保障の文脈だけで語られがちだが、人類全体の安全に関わると認識すべきだ。被爆地にはそれを訴える力がある」との言葉に示唆を得た思いです。
核兵器禁止条約の批准国は昨年15カ国増え34ヶ国になっています。(50か国目の批准書が国連事務総長に寄託されてから90日後に発効する)核兵器のない世界に向けて、今年も核兵器禁止条約の発効を求める市民社会の思いを足元から具現化する地道な活動を続けていきたいと思います。