生活援助こそが在宅の限界点を高めるために必要不可欠なサービス

12月17日に行われた加藤勝信厚労大臣の会見概要が厚生労働省HPにアップされた。
この会見で、加藤厚労大臣は、前日に開催された社会保障審議会の介護保険部会で提示された介護保険制度の見直しに関する意見 (素案)について、「踏み込み不足といった趣旨の発言も出た。今回の見直し案で制度の持続可能性が維持できるのか」との記者の質問に答え次のように答えている。
「(施設の)食費・居住費の助成、いわゆる補足給付と高額介護サービス費について具体的な見直し案を提示してご議論いただきました。年内に方針を得て、制度改正に向けてとりまとめを行うべく、引き続き関係者のご意見を伺いながら丁寧に議論を進め成案を得て、そうした中で、今後も持続可能な制度にしていくための不断の見直しを行っていきたいと思っております。」

注目していたケアプラン作成の有料化や、要介護1・2の人たちの生活援助を給付から外し市町村事業に移行すること、介護保険サービスの利用料の2割または3割負担の対象者を拡大すること等については大臣は言及していない。
確かに、介護保険部会に出された制度の持続性の確保(これまでの検討と持論の整理の方向性)と言う資料では、「引き続き検討を行うことが適当」とさており、見直すとはされていないが、これらについては「見送る方針」との報道もあった。「引き続き検討を行う」ことを持って「見送る」と読んで良いのか。
ちなみに部会に提示された資料にはこの様に掲載されている。

委員からは、『文章の最後に「必要である」「重要である」という表現がたくさん出てきます。それから「適当である」という言葉もあります。「必要」と「重要」と「適当」では違いがあるのかどうか。』と言う質問があった。気になるではないか!

担当課は以下の様に答えた。
「必要」→基本的な方針、取り組みに関わる部分で概ね皆さんの意見一致したようなようなところ。
「重要」→必要とされる取り組みに関連する取り組み、重要な視点と言うことでご意見いただいたもの。
「適当」→例えば事務局から提示した案についてより具体的なものについて方針がだいたい一致したもの 。(もちろん「検討が必要」というのは、この先検討が必要ということで一旦整理させて頂いています)

なるほど勉強になった。これを踏まえてもう一度報告素案を読んでみようと思う。

部会では、毎回、異なる立場からの主張が、平行線を辿りながら繰り返し述べられていたのだが、それらはいずれも介護保険制度の「持続性」をめぐる主張であることは間違いない。一つは、財源問題に着目した人たちの「給付の伸びを抑える」という立場からの主張。しかし、「制度あってもサービスなし」では制度の持続性が確保されたと状況とは言えない。もう一つは「必要な人に必要なサービスを提供する」という主張だ。

家族のあり様の変化が介護のあり様も変えてきた。介護を家族だけで担うことは難しい。だから「社会化」するんだと介護保険制度が生まれた。高齢化が進めば給付の拡大は避けられないこともある程度予測できたはずだ。ただ、介護給付を受けるのはずっと先の話かもしれない。誰かに支えられなければ生きていけない自分を想像できないかもしれない。生涯給付を受けない人もいるかもしれない。そんな中で保険料を納める負担感は募る。

しかし、介護保険制度は高齢者のためだけでなく支える家族のための制度でもある。介護を理由に離職する人は年間約10万人。安倍首相が議長を務める全世代型社会保障検討会議は、「生涯現役(エイジフリー)で活躍できる社会」を掲げている。仕事と介護の両立という課題はさらに顕在化していくだろう。

16日の部会で、認知症の人と家族の会の花俣ふみ代委員は、「生活援助こそが在宅の限界点を高めるために必要不可欠なサービス」と発言された。この発言に制度の持続性の確保のための示唆がある。
花俣委員は、「ひたすら実態をお伝えしている利用者の立場からの発信が、的外れかどうかその辺りは何れ当事者となるやもしれぬ皆様に我が事としてご理解いただけることに期待したい」と結ばれた。
まさに想像力、そして当事者の声、さらには、現場に向き合う介護ワーカーの声が必要とされている。
先週末、次回社会保障審議会介護保険部会の日程が公表された。いよいよ最後のまとめを行うと思われる。ここまで、通い詰めたのだから、私は最後の議論もしっかりと聴いてみたいと思っている。委員の皆さんの我が事としての発言に期待して。