エネルギーシフトを考える「電力事業の歴史としくみ」

エネルギープロジェクト学習会報告

今日は、「足元から地球温暖化を考える市民ネットえどがわ」の山崎求博さんを迎え電気事業の歴史としくみについてお話いただきました。

 戦前には、横浜市の「横浜共同電気」を始めとして神奈川にも27の電燈会社があり、地域の特性を生かし、地域で電気がつくられ賄われており、まさに電気は地域のものでした。1911年の「電気事業法」の成立により、危険物としての取締りから電力事業者保護へと舵が切られ、1925年頃には電燈会社は700社となり乱立と競争の時代を迎えます。1931年には、余剰電力が28%に拡大し「電化生活普及運動」が展開されていたとのこと。現代においても、原子力発電の夜間余剰電力の利用とセットでオール電化普及戦略が推進されていますが、余剰電力を消費させるための戦略は当時と変わらないようです。

 戦時中の軍需産業向けの電力需要の高まりや重工業のへの傾斜にともない、より大量により安価な電力を供給することを目的にした電力の国家管理が進んだ時期を経て、敗戦後1951年には9電力会社に再編され、発送配電の地域独占体制が出来上がります。競争相手が無くいつも正しく利益を得られる電力事業、設備投資も適正な原価として電気料金に上乗せでき、事故にともなう被害補償にも上限が設けられ、特別会計などで潤沢な資金援助があるとすれば、当然ながら、原発依存に傾斜していくはずです。

 しかし、3・11を境に原子力発電の安全神話は崩れ去りました。化石燃料の購入に年間23兆が費やされ、一方で年間14兆円の電気料金を得ている電力事業のあり方を政策的に転換できるのか、政治の力が問われています。歴史的に見ても、政府や産業界の意向を色濃く反映してきたエネルギー政策に、自治体や市民が関与する難しさはありますが、まずは、自治体が率先して電気をつくる、電気を選ぶという視点で再生可能エネルギーの推進にに努力をすべきと考えます。