呼び覚まされた貝山緑地の地下に眠っていた記憶

ピースリングツアー in 横須賀

神奈川ネット平和プロジェクトが主催するピースリングツアーに参加し、横須賀軍港と追浜の貝山地下壕を見学しました。
米軍基地と海上自衛隊基地を海から眺める軍港めぐりでは、潜水艦やイージス艦、インド洋に派遣されていた補給艦、護衛艦などを間近に見ることとなりました。次々と艦番号と名称をアナウンスするツアーガイドの声も途切れること、あらためて海軍のまち横須賀を実感。原子力空母ジョージ・ワシントンは横須賀基地を出航し、その姿はありませんでしたが、ガイドさんの「残念ながら今日は(ジョージ・ワシントンを)見られません」の言葉にも、基地が観光資源となっている一面が現れていました。

日米のテイストが融合する商店街「どぶ板通り」を抜けて良長院にも足を伸ばしました。良長院にある「横須賀海軍建築部請負工事殉職者記念碑」には、海軍基地拡張工事に従事し犠牲となった朝鮮出身労働者の存在がしっかりと刻まれていました。

追浜にある「貝山地下壕」も強制連行された朝鮮人労働者によって建設されたと言われています。横須賀市内には、第二次世界大戦末期、軍事施設を爆撃などから守るために掘られた地下壕がいくつか残っており、貝山地下壕もその一つ。横須賀海軍航空隊の指令部や物資の格納庫として使用する事を想定していたようですが、実際は、ほとんど使われる事無く終戦を迎えたようです。
地下壕に入り爆風緩衝扉跡を過ぎると気温も一気に下がり、光の無い地下壕は完全に外界と遮断された世界となります。迷路のような地下壕に、作戦室、地下船着き場とともにかまど跡やトイレ跡といった生活の跡も見ることができます。つるはしの痕跡は、この暗闇の中で2キロに渡る迷路を黙々と掘り続けた若者たちの姿を彷彿させます。私たちは暗闇の中で静かに黙祷を捧げました。

歴史を学ぶ事も、今を知ることもとても未来のために大切なことです。貴重な戦争遺跡の保存に向けた動きも作られようとしています。今回のツアーでも、あらためて、戦争の記憶を風化させることなく、アジアにも思いを馳せ活動されている方たちの存在を知りました。今後も、基地県神奈川の市民の連携を進めていきます。