久しぶりの奥田知志さん

今年4月から、生活クラブ神奈川は「居住支援法人」として神奈川県の指定を受け、新たな活動がスタート、その構想と背後にある社会課題について考える連続フォーラムが開催されています。その準備に少しだけ関わりを持たせていただき、新しい出会いの機会を得る中で、いくつかの気づきが線になっていくような感覚が生まれてます。

7月に開催されたスタートフォーラムでは、奥田知志さん(認定NPO法人抱樸 理事長)のご講演を久しぶりに聴きました。そのお話は、生活クラブ神奈川が、居住支援法人として、「住宅 (House)」の提供にとどまらず、そこでの生活を支える「居住 (Home)」の提供を目ざすとしている本筋を外さないもので、住宅プラス関係性というか、経済的困窮(ハウスレス)と社会的孤立(ホームレス)をセットで支援する必要性を繰り返し説いてくださいました。しかし、私は、その周辺のお話で、おそらく支援者という人たちに向けて投げかけられたであろういくつかのエピソードに、「うーん」となりまして、ここに記しておきたくなりました。

「こんな夜更けにバナナかよの世界です」(By奥田さん)
奥田さんが赴いた能登半島地震の被災地支援現場での出来事。
発災から2週間後、ある避難所で若いお父さんが、「ケーキダメですかね。明日は娘の誕生日なのでどうしても祝いたい。あの日死んでいたかもしれない。親子で生き残った今、誕生日を祝ってやりたいんです」と言われる。水が出ない、極寒の中で食べ物ることもままならない。さあどするか。結果、金沢に戻って子どもの数だけケーキを買って皆で祝ったのだそう。「瞬間値で見ればマズローも良いけれど、人間として、時に順番が変わってくる」とサラリ。
奥田さんが仰りたかったことは、人間が、その人が、その人として生きていくことをどう考えるかという問いでした。「何のために、誰のためにを普遍的に生涯にわたって考えていくそのしくみが居住支援だ」と言われれば、その通りだと思います。

助ける人・助けられる人の切れ目がなくなっていく
同時に「頑張って支援しているうちは限界が来ますよ。いい人は続かない。」と言われてしまった私たち。
奥田さんは、現在、殺人罪で服役中の受刑者の引受人となっておられて、刑務所で面談をされた際の感覚として「アクリル板の向こうとこっちは大差ない」と表現されました。「例えば、私はたまたま10個のブロックが揃った。これが1つ2つかけていたらあっち側にいたかもしれない、助ける人・助けられる人の切れ目がなくなっていく」そんな感覚なのだと。
自分にとってもあるべき社会であってほしいと心底思える感覚があるからこそ、1988年から36年にわたって社会変革のための息の長い運動が継続されているのですね。
このエピソードを聞いて、私はマグダラのマリアの一節が思い浮かんだのですが、奥田さん、牧師の言葉が人生の答えではないと言われてたなあ。
〜追求すればするほど世界も人生も解らないことだらけ〜
願わくば、問い続ける先の面白さに触れられるような時間を重ねたいなと思っております。