75年目の8月15日に
コロナ禍の中で、生まれて初めて広島に戻れない8月を経験しています。
でも、この時期どこにいても、広島の風景は目に留まります。
数日前の報道番組では、現存する最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」をめぐる動きが伝えられていました。映し出されたのは、微かに記憶にある「出汐倉庫」でした。
90代の男性は、被爆直後に臨時救護所として使用され、多くの負傷者を受け入れをおこなった倉庫の様子を「地獄絵のような光景」と証言されていました。
旧広島陸軍被服支廠倉庫は、被服物資の補給基地で、爆心地から2.7キロの場所にありながら倒壊を免れ、現在も、4棟のレンガ造りの建物が残されています。(3棟は広島県所有、1棟は国が所有)
昨年12月、広島県は、耐震問題などを理由に「1棟保存2棟解体案」を発表しましたが、被爆者、市民などからは、3棟全ての保存を求める声が上がっています。これを受けて、県は今年中の解体を見送って、年度内に改めて結論を出すこという状況のようです。しかし、仮に県の財政難を理由に解体することとなれば、大きな損失であると考えます。
国は、県の検討結果を見守るとしていますが、政府が率先して保存に向けた財政支援策を提示する、あるいは、県が所有する2棟についても国が所有権を取得して保存することも検討すべきではないでしょうか。
私があの倉庫を見たのはいつ頃だったでしょうか。
祖母の勤め先に近い場所にあったような気がするのですが、その記憶は曖昧で。
時間が流れ、街は変わっていく。何もしなければ、さらに記憶は薄れてしまいます。
祖母も母ももう居ないけど、父は、叔母は覚えているだろうか。話を聴いてみたい。
この場所でできることを。あらためて考えてみたいと思っています。