東日本大震災を経験して 〜繋がりエンパワーメントする〜
東日本大震災後、福島県浪江町を離れ、現在、青葉区に暮らされている伊藤まりさんを迎えてトークサロンを開催しました。
震災前、人口2万人、8000世帯が暮らす浪江町は、地域活性化に知恵を絞っておられました。当時、伊藤さんが商工会婦人部のメンバーとして関わられた、住民が作った浪江を紹介する30秒CM「わくわくCMコンテスト」の様子を伝える映像からは、浪江町の美しい海や山や、そこで暮らす子どもからお年寄りの暮らしが伝わってきます。でも、その方たちの人生は大きく変わってしまいました。600人の児童が在籍していた浪江小学校は、児童数10人となり子どもたちは二本松市の仮校舎で学んでいます。子どもたちの作品に登場されていた校長先生は避難先で亡くなられたそうです。ばらばらの避難生活は多くの家族の関係を壊してしまいました。
原発立地自治体ではない浪江町には、福島原発事故直後に的確な避難情報が届きませんでした。伊藤さは津島地区に避難されましたが、ここはもっとも線量の高い地域でした。友達、親戚がみんないなくなって、仕事を失って、自宅やその周辺もすっかり姿を変えてしまった…多くの苦悩を抱える地域の姿が浮かび上がります。未だ仮設住宅や、県内外の借り上げ住宅に暮らされている被災者がいらっしゃいますが、被害状況が異なるために市民の間に軋轢が生じています。震災後の肉体・精神的疲労が原因で亡くなったり自殺に追い込まれるなどの 震災関連死は増加を続けています。震災後の経験を「暮らす」という視点から振り返られた伊藤さんの言葉からも、3年間の過酷な時間をあらためて知ることとなりました。
現在、伊藤さんは民際支援を行うリサイクルショップ「WEショップ」のボランティアをなさっており、昨年は、フィリピンのスービックを訪問するスタディーツアーに参加されました。この経験は、対等なパートナーとしての関係づくり、顔の見える関係の重要性も確認される貴重な機会となったそうです。
私たちも、日々、被災地の事を考え続けることは難しいと思います。しかし、知り合えた人、お一人ひとりを通じて、被災地の現状と向き合っていいくことはできるのではないでしょうか。原発の存在やそのリスクからも目を背けることなく、未来をつくり変えていくためにも、これからも繋がり、エンパワーメントしていきたいと思います。