予防的支援が重要〜日々の現場から考える虐待防止〜

東京・目黒区で父親からの虐待を受けて5歳女児が死亡した事件を受け、小池東京都知事が、都議会で童虐待防止を目ざす都独自の条例を新たに制定すると答弁したことが報じられています。

行政だけなくNPOや学識者、経済界と様々な立場の方たちが虐待防止に向けた新たな制度を求める声をあげ、賛同も広がっています。多くの指摘があるように、児童相談所のハード、ソフト両面での充実とそのための財政措置は必要だし、虐待を行う保護者の親権停止や、里親や養子縁組等の課題についても検討されるべきです。
今回の目黒区の事件では、転居による児童相談所間の引き継ぎの課題や、児童相談所と警察の連携課題も指摘されています。この事件の報道に触れ、思い出されたのは、他市から青葉区に転入した養育支援の必要な家庭の子どもの死亡事例です。この時も情報共有や警察との連携が課題とされました。私自身の課題認識もそうした点にフォーカスされていました。

しかし、その後、私自身が、養育支援ヘルパーや育児支援ヘルパー派遣に関わることになり、関係機関で情報共有する難しさや、求めに応じてヘルパーを派遣すること自体の難しさも実感しました。予防的視点から、身近な子育て・保育事業におけるソーシャルワークの重要性も認識しています。例えば警察の中にもソーシャルワーク部門が必要なのではないでしょうか。

横浜市には「子供を虐待から守る条例」があります。条例が制定されたことで、条例にに基づく事業の実施状況報告がまとめられるなど、一定の効果はあるのだろうと思います。しかし、あらためて条文を読むと気になる部分もありました。
条例の6条4項には、「保護者は、子育てに関し支援等が必要となった場合は、積極的に子育て支援事業を利用するとともに、地域活動に参加すること等により、子育てに係る生活環境が地域社会から孤立することのないよう努めなければならない。」という条文があります。これには引っかかってしましました。
孤立しないことを努力義務化することへの強い違和感です。
先日、一時保育の現場でこんな事例を聴きました。保育室の前の道を行ったり来たり、ときおり保育室の様子も伺っている人がいたそう。よく見るとすでに一時保育の利用手続きを済ませたものの、利用のない親子だったとのこと。スタッフが声を掛けると「覚えていてくださったんですね」と号泣し、少しづつ近況も話され、その後、親子で保育室に来られるようになったということでした。支援の現場が目の前にあっても繋がることが難しい親子もいるということだと思います。
子育てに「ねばならない」を持ち込むことが新たなリスクを生じさせてしまいます。「うまくできない」も受け止めて伴走できる支援現場でありたいと思っています。もちろん、現場の視点を持って制度提案にも取り組んでいきます。